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絵図編解説編2冊セット 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
序文
東海道の戸塚宿から分れて、大船や鎌倉を経て、三浦半島を南に縦貫するのが浦賀道である。三浦 島は古代から開けたところで、古い東海道はここを通って安房へ渡ったことは日本武尊の伝説でも知 れるとおりである。中世には鎌倉に幕府が開かれ、この半島に興った三浦氏や和田氏などの活躍する 面がきわめて多い。
その時代に創建された神社仏閣は近世まで多く存続していたので、鎌倉を中心にして、金沢八景や江 島を含めた一帯は、信仰と探勝とをかねた絶好の遊覧地となり、多くの人々をひきつけた。しかし江 幕府が浦賀道を重視したのは、そうした人々の通行のためではなかった。
房総半島と相対して江戸湾を包んでいた三浦半島の先端は、江戸湾に出入する船舶を監視する重要 地点であった。三代将軍家光時代に、三崎と走水に番所が置かれたのは江戸湾警備のためであったが この両奉行所は元禄九年(一六九六)に廃止されて、その職務は下田奉行所で合せ行うことになった。 ところが享保五年(一七二〇)末になって、下田奉行所は浦賀に移され、出入の船舶をことごとく検索 をし、積荷を改め、また出女入鉄砲の有無を調べるなど、海の関門とされたのである。
これより浦賀港には常に多数の船が停泊して大いに賑わい、各種の商人も入りこみ、江戸との往来 盛んになった。道もそれにつれて整備され、公用旅行者のために人馬を継ぎ立てる制度も整った。 さらに江戸湾沿岸防備のために、会津藩あるいは彦根・川越などの諸藩に警備にあたらせたので、三 半島には、浦賀奉行の預り所や諸藩の領地もできて、複雑な支配組織にもなったのである。
この絵では、戸塚宿から出た道は、円覚寺・建長寺・鶴岡八幡宮などの前を通って、間もなく江 島と左右に分れて浦賀に向う。 浦賀は克明な描写で、その自然の良港であることを示し、奉行屋敷
心古場所などが描きこまれていて、当時の情景をよく示している。この「分間起絵図」なかでも風に富んだ街道の一つであろう。
昭和五十二年二月
監修者 児玉幸多(学習院大学
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